黒子のわっさん

しょうもない今日も、、はい。 

音楽を聴くとその思想に取り込まれそうで

最近、音楽が聴けない。特に悩んでいるときや落ち込んでるとき。求めてる答えを音楽で解決しようとするみたいになって。所詮は赤の他人が自分の気持ちも知らずに書いた歌詞なんてものにヒントはあっても正解はない。鵜呑みにするぐらいにはその時には弱っているから。

 

自分が思っている以上に人ってわがままでそれを隠しながら生きているんだなって思っている。自分がすべてをおおぴらにしすぎているだけかもしれないが。そのせいもあるのか、話しやすい、良い人という評価をされてうれしいし、自負している。しかし、だからこそ自分に相談をされることはないし、頼りにされることはない。どんなに倫理観が無かったりモラルもない人の方が相談される踏み込んだ話をされることに自分はくだらない嫉妬心すら芽生える。

 

今思っている感情を口や言葉にしてしまえばそれだけで解決するのに、それを明確な表現としてしまうことで自分のレベルが下がってしまいそうと思ってしまう。そこのしょうもないプライドで引きずってしまう。自分が思ってしまっている相手への不満負の感情はみんなどうやって吐き出しているのだろう。叫びたい今すぐに。それを本人に伝えるモラルのなさは本当にしたくない。でも、どうしようもないから結局は長く引きずりまたこのように文章にしている。他人を傷つければ自分が自分に対して何もしなくても正当化することができるのに、自分で何かマインドを変えることで解決しようとして何もできない。

自分の中の一定の尊厳がありプライドがあり面倒ごとをこのように起こす。

 

恋愛に関して、マッチングや紹介のようにお互いその気があった上での交際は何か自分の中で本気になれないところがある。かといって、長年の友達は振られた後関係が壊れていくのが恐怖でしかない。

 

普段は文章を書くことで考えがまとまり気持ちが落ち着くのに落ち込んでいくばかり。

こんな時って人の悪口しか思いつかない。絶対に表現しないが。

素直に生きて人に嘘つかないでいきてきてこれならばどうすればいいのか。わがままで自分中心のやつこそ敵を増やしてでも自己の視点からはいい人生とならんだろう。自分の価値基準に合わない人つまり尊敬できない奴が、自己の視点からいい生活をしているのが腹立たしい。

また明日も書こうかな。

かくことがないことが恐ろしく嫌だった

 普段ダン・ブラウンの作品しか読まないのに、何かの気の迷いなのか、憧れか、焦りか、何とも表現のしにくい透明で重みのない動機で志賀直哉の本を読んだ。正直なところ志賀直哉が誰でどの時代に生きた人なのかも知らない。ただ短い文章の中できれいな情景描写、それと物語としての主題を直接書かずとも伝える文章力、日本人を代表する作家である所以が素人目に理解できた。

 ヴェネツィア共和国の寓意画は、女性名詞であるから女性であり、正義の象徴である長剣と権力のバランスを意味する天秤を持っている。しかし本来の正義の寓意画とは異なり王座に座り、聖書に出てくる知恵の象徴でもあるソロモン王の王座なのである。これらをもって16世紀前後のヴェネツィア共和国が何を主張したかったのかよくわかる。

 もっとも、日常の中にあるものでもいい。例えば商業映画、長すぎるイントロ、ふと感動したり、感情が動かされたものがあっても、面白いった話や物語。おそらくすぐに忘れるだろう。忘れたいわけでもないし、忘れたくないものである。懐古という言葉があり要に一度した経験は月日が経ちまた触れることで再び感動する。でも恐らくそれは懐かしいという感動であり、本質じゃない。日々勉強や生活などする中で、多くの感動に触れることがあり、一時の気の迷いでその感動に流され洗脳されたように自分の生き方に価値観として新たに組み込もうとする。しかし、三日も寝れば大抵のことは忘れる。また、元の自分に戻る。刺激の多い日々を送るのは、感動を継続的に受け価値観が更新され新しい視野が広がるのかもしれない。けど、二度と元の自分には戻ってこれない。なぜならば新しい感動が与えられるからだ。

 本を読んだ動機でもあるが、自分は透明で重みもない、味もない、ただ社会という空間に酸素として消費されるだけの存在なのかもしれない。本や象徴学の鉄が空間の中に投下され、たまたま近くにであった酸素と一時的に結合し酸化鉄になるものの、普段の生活にとって邪魔な存在はごみとしてその空間から放り出される。それが忘却なのか、はたまた自分自身もすべてその空間から除外されるのか怖いものである。

 自分はこの夏に自分の趣味と自称していたバイクを事故で失った。今までの生活においてバイクとは大きな割合を占めていた。突然にそれを失っても自分でも驚くぐらいに平然としていた。おそらく音楽でも同じことがいえよう。何かがないと生きていけないわけではない、すがるものが何もない人はただ落ちていき有象無象になるのか。おそらく、何かにすがらないと生きていけないという表現を良く耳にするがそれとは全くのベクトルが違う話であり、比べて話す対象でもない。なんというか、趣味といった表層のものをはがしていったときにその内側に何かある人間なのか何もない人間なのか。自分は何もないことを恐れて、様々なことに手を出すものの結局は趣味でしかなく解決にはならない。最もその趣味が生きがいとして内側まで深く刺ることができたならそれは答えではある。無理やりベクトルを合わせようとするのならば、何かにすがらないと生きていけないということは針はすでに内側まで刺さっている。それを恥じている人たちがいるのならばそれは、より内側の芯を作りあげていきたいと考えているのかもしれない。よっぽど内側に何もないくせに行動にうつさない奴より立派なもんだと思う

近況

人生で初めて文章を書いた。正確には中学生の国語の時間に書いた記憶があるけれど、それ以来だ。

どうせ書くなら少し本気で考えてみたけれど、普段本を好んで読むタイプの人ではないから何もわからなかった。けどどうせ書いた文章なんだから誰かに読んでもらいたいなと思う。

 

それはそうと、最近自分が何をしたいのかわからない。普通の大学生みたいに恋愛してみたくて、彼女いない歴=年齢を取り払いたくて、童貞を捨てたくて、彼女を作ってみたけれどその人が何を考えているのかわからないし、興味がない。

成り行きで仲良くなった女の子に告白して付き合ってみたけれども、何もわからない。何がというわけでもないが。俺も人の子だから、彼女と手をつないだりするとドキドキするし緊張もするが、ホテルにも誘えないしキスすらできていない、素直に好きっという感情が出てこない。

今まで自分は自己肯定感が低い中でもクズを見ては自分はなんて素晴らしい人間なんだと思っていたが、あまり大差がない。正直に言えば自分の承認欲求を満たすために好きでもない女の子と付き合ったクズである。クズであることを理解しながらもこうやって思いつくがまま書きなぐって自分を正当化しようとしている。

 

彼女に言われた「ほんとにそう思っている?」て言葉を最近脳内で繰り返す。どうやら、彼女との会話で感情がこもっていないらしい。ただコミュニケーション能力が皆無なのか、ほんとに彼女に興味が持てないのか自分でもわからない。

 

人の本性を知るためにはどうしたらいいのか、逆に自分の本性を濁さずさらけ出せる人ってのは本当に必要な人間なんだなと思う異性でも同姓でも、このように場所でも。

 

 

てか前に挙げたショートストーリーを企業にコピペだとお思われたくないから鍵かけたけどなんの意味をなしていない

文才が欲しい、本をよも

企業の課題でリモートというお題で600字

A氏は事務作業の効率化を図る機械の営業をかれこれ10年続けている。同期が皆結果を残し出世していく中で、営業力が無いA氏はひたすらに訪問し数をこなすことで何とか売り上げ目標を達成することが出来ていた。頑張ることだけが取り柄のA氏は、睡眠時間を削り訪問企業のリストを作っていたが、他の営業社員が定時で上がり同じ目標を難なくクリアしていたことから、会社からは残業として認められていない。精神的にも肉体的にも限界が近かった。そんな中、A氏に転機が訪れた。何かよくわからないが最近ウイルスが流行っているから、リモートでの営業に切り替えなくてはいけないらしい。こちらに人が増えてきた原因と同じだ。移動時間がない分より多くの企業に訪問することが出来ることはA氏にとって大きなメリットであり、同期に追いつくチャンスである。A氏はとにかくリモート営業を行った。この時期に結果を残さなければ、今後自分に未来がないことがA氏は理解している。気づけば週の睡眠時間は合計しても10時間を満たしていなかった。しかし、もう休んだ方がいい。

 そんなある日、A氏のもとにとあるメールが届いていた。

「こちらも人が増えてきたので、貴社の商品が気になっていました。実際にあなたに会ってみたい。こちらは準備が整っていますので、ご都合がつきましたら下のリンクにアクセスしてください」

どうやら最近の天国もリモートが推奨されているらしい。

たったこれだけの夜明け、気持ちを整理する為の肥溜め

朝4時にふと目覚めて夢に出てきた事について考えている。人間だから、欲望混じりの混沌とした夢を見た。夢を見ている間はドキドキして楽しいけど、目が覚めたら、現実をつきつけられてどうしようもない気持ちになる。悪夢なのか。単純に、殺されたり、歯が全部抜けたり、知り合いが死んだり、悪夢はよく見る。(歯が抜ける夢はしょっちゅうみる)そんな中で、憧れを体験できるようなのは、実際にできない自分への罰ゲームにしか感じない。

夢は記憶の整理と言われているがその通りな気もする。最近自分の周りでカップルを知らされる事が多く、惚気話も聴かされる日々。ここ数ヶ月一週間に一回は初恋の子が出てくるいろいろな形で。小学校から高校まで定期的に会う知り合いで、今は女子大でダンスのインカレに所属してる。それだけの情報で出来上がった夢の中でしか会えない、架空の彼女に心を惹かれ、手を出さなかった高校生の時の自分に怒りを覚える。

良く彼女作らないのか、童貞捨てたのか、良く聞かれるが、夢の中で出てくる架空のあの子によって自分の中で理想郷が築かれプライドとして降りてくるのである。そりゃ男だから、女子に言い寄られれば簡単に揺らいで鼻の下伸ばすよ。、、

彼女作らないの?って言葉に毎回、彼女作る工程がめんどくさいだとか、好きな人が出来ないだとか、本当だけど嘘をついて誤魔化している。 

手を出すの遅いですよって言ってきた彼女によって、めちゃくちゃ人間不信になったのは本当だけども、結局はあの子の姿に重ねただけだったのかもしれない。そしたら、これから一生あの子を忘れられない限り、良いなって思う人が全て架空のあの子を基準に考えてしまい決して上回る事が無いのである。

そしてどんどんメンタルが綻びはじめる

午後九時、この空気

怖くて怖くて苦手なものから逃げることを趣味と呼び正当化する。だから、趣味をこなしている時、それに楽しさは覚えてない。

自分を偽りかっこよく見せる行為を趣味と呼び、根元を見つめることをしない。だから、趣味を頑張ってしまう。
20年かけて出来上がったものの心臓部を直すのに、酔って言われた上からの助言で済むような単純なものに仕上げたつもりもなく、単純なものにするつもりもない。